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ユタになるまで

この記事は約42分で読めます。

始まり

子供の頃 <恐がり>

幼稚園生の頃、家のすぐ近くにあった「古い木の電柱」を通る時、何となく恐くて、目をつぶりながら早足で歩き去った。じつは、私の母が深夜トイレへ行くと、部屋の窓から「白い服の男」の幽霊が電柱に入るのを目撃したとか。幼い私は、霊を感じている自覚はなかったが、何箇所かの特定の場所に人の気配を感じては恐がっていました。

健康状態

よく熱を出しては学校を休むことが多かった。突然起こる呼吸困難、心臓をえぐられるような痛み、頭を締め付けられるような痛み、頻繁に起こる腹痛と下痢(何度か精密検査を受けたが異常なし)。

不思議な感覚

よく目をつぶると、ピンポン球状の「白い玉」が額の近くを浮遊。その玉は額から出たり入ったりしムズムズする感覚を覚える。それがとても不快でいやだった。

四六時中、たくさんの「目玉」が自分を見ている感覚があり、一人の時、恐怖感に襲われていた。

喉仏を殺ぎ落とされたような感覚があり、服を着た時に喉仏に触れる部分に苦しさを感じ、ワイシャツの一番上のボタンをはずすことが多かった。

デジャブ

「そこの角を曲がると自転車に乗った友達二人に会うよ」「彼がこう言ったら、次に隣の子がこう言う。なんで、皆で、また同じ会話をするんだろう?」とか、先に夢で見たのか、過去に同じ体験があったのか、まるでタイムスリップしているような不思議な感覚がよく起こっていた。

瞬間に見えた未来のストーリー

中学二年生の時の事。
当時は大『ブルース・リー』ブームで、あちらこちらで決闘が行われていた。
私も決闘を申し込まれて、ブルースリーの技を自宅にあった8mm映画で研究して、それに臨んだ。

決闘場は大人達に見られない山の中になり、一人審判がついて3人でそこの場所に行った。
そして決闘が始まり、割と自分が思ったような展開になり、いよいよ最後の大技を出せるタイミングが来たので、足を高く上げて相手の顔面へ当てようとした時。

シーンっと、時間が止まったようになり、目の前にビジョンが見えた!
それは初めての体験でした。

《顔を蹴られた相手は後ずさりし、後ろにあったガラスの破片などのゴミが纏められている所に倒れ、手や頭を切り血を流す。彼は家に帰る、共働きで居ない両親に代わりおばあちゃんが縫い物をしていた。おばあちゃんは彼の怪我を見て泣きながら彼の看病をする。》

この一連のストーリーが、足があと10センチ位で顔に当たるという所で瞬間に見えたのです!

もちろん私は、顔に当てる事なく足を下ろして、彼が戦う体力を失うまで羽交い締めして、怪我する事なく、この日は引き分けにもっていく事が出来ました。

その時に、人の身体は先祖からの尊い贈りものなんだと、それをいかなる者も傷つけてはいけないと痛烈に感じ、それ以降どんな事があっても、自分がやられるだけになっても決闘等に応じる事は出来なくなりました。


17歳~<神を考え始める>


祖父の死の直後から一週間位夢でうなされた。

酒乱であった祖父が毎晩ドアを叩く。私は怖くて息を潜めている。
静かになった時にドアのポスト穴を恐る恐る開くと、目が光り、恐ろしい顔した祖父と目が合う。

祖父がゴキブリ人間みたいな真っ黒い人に羽交い締めされて、連れて行かれる。
そして、真っ黒い砂浜に埋められた。それから夢を見なくなった。

その後も祖父の影響は続き、私は普段お酒を飲まないのに、命日の日に突然一升瓶で焼酎を飲まされたりする事もあった。しかし10年位過ぎた頃に、既になくなっていた母方の祖父とコタツを囲んでみかんを食べながら穏やかな表情の姿を見てから、なにもなくなりました。

話を戻します。
祖父の死を皮切りに、突然自分のなすことやることが裏目に出て、いろんな方面から災難、事故、病気、怪我等、心を整理する間もなく一気に降り注ぎはじめた。

生きることに意味を見出せなくなり、心と一緒に部屋に閉じこもり、数ヶ月間登校拒否。

心配した姉がドアの隙間から何も言わずそっと入れてきた聖書。そんな時だからこそ、すんなりと神を受け入れ、そこから生きる目的を見つけようと夢中になって読み始めた。

少しずつ部屋を出て家族と言葉を交わすようになっていき、特に姉さんの話には耳を傾けた。勧められるままに、家庭教師的に聖書を教えてくれる伝導者夫婦を迎え入れ、某宗教に入信した。

その頃、私が通う高校の「PTA会長」をしていた父の激昂を受け、なんとか学校に向かい始めたが、極度の人間恐怖に陥り、休み時間はトイレで過ごし誰とも話しをせず、昼休みには学校を抜け出し聖書を持って一人で高い山に登り、太陽と話をする日々を過ごした。

太陽の目


ある時、太陽の目から自分と言う存在を見てみるとどんなふうに見えるか考えてみた。

どんな権威のある人間も金持ちも貧乏も同じ形をして見分けすらつかない無力なアリのように見えるのだろう、同じように生まれて死んでいくだけの存在なら、皆同じじゃないか。

どんな物を持っていても築いていても太陽の目から見れば無いのと同じ、見えている世界だけの幸福なんて何の価値も無い、見えない幸福を自分の手で掴んでいこう。

そう思った時、何かが弾け自ら担任の先生にこの話をして、ちゃんと登校するように頑張ることを誓った。

運命の出会い

きちんと学校に行き始めるようになった頃、ある一人の男子生徒・Ⅰ君の噂で学校中が騒然としていた・・・。

私が始めてそのⅠ君を見たのは、朝の全校朝礼の時でした。1年生から3年生まで全校生徒が体育館に集まり、座って校長先生の話を聞いている時に、私と同じ学年の別のクラスのほうがザワザワしてきたので見てみると、一人の生徒が立ち上がり、白目を向いて何かに操られているように体をゆらゆらさせて不気味なうめき声を上げている・・・。

それは初めて見るなんとも言えない恐怖映画さながらの光景でした。

その時はユタのことさえ知らなかったので、それが「神障り」だとももちろん分かりませんでしたが、皆がⅠ君を怖がって近寄ることを避ける中、私は全身血が滾るくらいⅠ君に惹かれ近づいて行き、何とか打ち解け友達になった(Ⅰ君についての詳しい話は、書籍「奄美三少年・ユタへの道」としてまとめました)。

霊感の目覚め

 

↑左下に丸い玉が浮遊しているのが写っている。
 

玉が祭壇の方に移動しているのがよくわかる。

ある時、日常茶飯事のように「幽霊」が見えるⅠ君が、言いづらそうに私にこう言ってきた。

「実は、おまえも俺と同じなんだよ」
「え!」
「俺と同じように見えているはずだ」

今まで自分が恐怖心から創造しているものだと打ち消してきた世界が、彼が見ている霊の世界だという。

お互いに何の情報も与えないで、見えるもの感じるものを紙に書いたりしていろんな角度から検証してみると、ほぼ同じであったため、それがキッカケで自分の霊感に気が付きはじめた。

日増しにその不思議な感覚は強くなり、肉声で聞こえる女性の悲鳴や歌声、肉眼で見えるこの世の物ではない光、動くはずの無い人形の手が動いて(一般の人には動いては見えなかった)見えたり、体から抜けて自分の寝てる姿を見たり、いろんな事が起こりはじめた。

また、人と話をしている時に左の肩から自分の守護霊なのか修行僧のような顔がのぞき込んできたり、私の体が千手観音のような存在によって動かされたり。

そして、いよいよ私にも「神障り」が始まってきた・・・。

神障り

学校で授業中に居眠りをしていると誰かが膝の上に手を置いてきた、それはとても冷たい手で、寒気と共に目覚め、手の方を見ると何もないのにしっかりと五本の指で掴まれている感覚だけがハッキリしていた。

突然、目の前が真っ暗になり、意識はあるのに全身の力が抜け、真っ直ぐに倒れたり、半意識の状態でふらふら歩き自分の名前を呼ばれても肩を叩かれるまで分からないようになったりなど。

恐くなったので、某宗教の夫婦に助けを求めたら「君はサタンに魂を奪われた」となじられ、助けるどころか、逃げるように去られて、その宗教からも追い出されてしまった。

その話を彼にしたら、自分がお世話になっているユタ(近所のおじちゃんユタ神様)を紹介されてそこに行った。

そのユタが私にススキを持たせて太鼓を叩くと私の体は立ち上がり勝手に踊りだした。そして静かにこう言った。

「天ザシじゃね~(天命)」
「神様を拝まんばならん生まれじゃね」

今はまだ若いという理由から、神様に時期を待ってもらって神がかりを鎮めるための“10年の延期願い“と御祓いをしていただき少し落ち着いた。

その後から、私の前に白い服に白髪白髭、長い木の杖を持った仙人のような霊が、いつも近くにいるようになり、私の頭を杖の先の細い方で突付いたり、杖を振って肩に雷のような電気ショックを落としたり、金縛り状態で霊的な寅と戦わせたりと、いろいろと私に試練を与えて指導をするようになった。

最初はその仙人のことを旧約聖書に出てくる「モーゼ」かと勘違いしていたが、山の神と言っていた。

神を探し始める

聖書の中のエホバという神を崇拝していて、それを信じる団体から追い出された私は、本当の神を求めたくさんのユタや霊能者に会ったりして宗教遍歴を積み重ねていった。

私が間違った方向へ行こうとしたら体に異変が起きたり、仙人が勝手に私の口を使ってその宗教を辞めさせたりとかして、仙人は多くを語らず見守るように私の指導をしてくれて、3回ぐらいしかなかったけれども誉めてくれることもありました。


18歳~東京へ <プロの占い師から霊能者へ>

友達の髪の毛を切ったりする事が好きで、美容師目指し東京の大手チェーンの美容院に入社。しかし、パーマ液で肌が荒れて仕事が出来なくなってしまいました。そんな時ひょんなキッカケで当時一世風靡していたタロット占い師と出会い、その能力を買われ24歳でプロの占い師としてデビュー。

当時はまだ霊感というのをオープンにしにくい雰囲気がありましたので、オーナーからその部分は隠して欲しいと言われ、タロット占い師としての立場を築くことになりました。しかし自分は道が違うのではという葛藤が生まれ、その店を辞めたあと、その店で知り合った占い師が独立した時に、占いではどうしても解決できないお客様がいるから霊能者として力を貸して欲しいと頼まれ、その道で生きていく決心をしました。

日航ジャンボ機墜落事故

1985年8月12日私は東京に来て初めての里帰りで心躍らせて羽田に向かった。
しかし到着したのは飛行機が飛びたった後でした。なんと乗り遅れてしまったのです。

どうして良いか分からず、頭が真っ白になり、しばらく空港の片隅で泣いてしまいました。
とりあえず、その時勤めていた美容院に戻り報告をしょうと思い、職場のドアを開けると、私の姿を見るなり、椅子から落ちる人"きゃー”と悲鳴を上げる人、ようやく一人が「幽霊じゃないよね!」と言って来たので「違います」と答えると、「あなた、家に連絡したの、ご両親も心配しているはずだから直ぐに電話しなさい!!」

なんと私が乗るはずだった飛行機が墜落したとの事。

ニュースを見て職場に集まり、テレビに流れる飛行機に乗った人の名前の中から私の名前を探していたとの事。

これを書いている2017年の現在に至るまで後にも先にも飛行機に乗り遅れたのはこれが初めてです。

日比谷線中目黒駅・脱線事故

この日は日比谷線の始発で六本木から新丸子へ向かう地下鉄に乗りました。
殆ど寝ていなかったのでウトウトしていた所、突然後ろから、肩を手のひらで「バシッ」と、ものすごく強い力で叩かれて「ハッ」と目が覚め、振り返ってみると、丁度中目黒駅に差し掛かる手前のトンネルの中で、窓に映る自分の顔以外は周りに誰もいなかった。

この出来事と何か関係があるのか分かりませんが、この出来事の後テレビを見ていると日比谷線中目黒駅付近で脱線事故のニュースが流れていました。

日常生活も苦痛な霊媒体質

人の家に泊まった時には、金縛りにかかり、まるで今現在起こっているかのような火事を体験させられ恐怖し、子供を抱えた女性に何かを訴えられる。

沖縄のホテルに泊まった時は誰かが出入りする音で眠れない。

本屋さんやショッピング中も、何かに触られる感じや身体が重くなると、そこを離れて暫く休まなければならなかった。

ある時、島から出てきたばかりの妹を東京案内する為に、池袋のサンシャインのエレベーター近くを歩いていると、サラリーマン風の男の霊が上から私の身体に「ドスン」と落ちてきて同時に私も地べたに倒れこみ動けなくなった。

こういう体質の事を知っていた妹と知人に抱えられて、その場から動けるようになる場所まで離れさせて貰った。

元暴走族霊の金縛り

20歳過ぎたばかり独身の頃、東京都から多摩川という大きな川を挟んで神奈川県にある新丸子という駅の近くの賃貸マンションに独りで住んでいました。この場所はお隣の田園調布の方から聞いた話では、昔、赤線青線と呼ばれる売春等が行われていた風俗街であったそうです。丸子橋は集団暴走族が爆音を鳴らして走ったり、多摩川ではよく水死体が上がるようで、私も一度目撃しました。

この新丸子の多摩川沿いに住んでいた時は、色々と不思議な体験をしました。
その時に経験した忘れらない金縛り体験のお話をしたいと思います。

金縛りに会う時は必ず部屋の天井の角に暗がりが出来るので、寝る前にわかります。
この日もそうでした、空間の暗闇がそこだけドッドが薄いというか違和感のある不自然な暗がりなので直ぐにわかります。

「あぁ、今日も金縛りか、いやだな~」

と思っても、どうしょうもない睡魔に襲われるので、寝てしまう事になります。

すると、やはり始まりました。足の先から冷たいものとジリジリと静電気みたいなものがゆっくりと頭の方へ向かって這い上がってきます。

耳の方に近づいてくると、物凄い爆音が聞こえて来ます。暴走族のあれです「バラララ、パラララ、ブンブンー!!」です。

いよいよ、頭の先まで全身が包まれた時は音の中心にいるような爆音が響きます。
すると、特攻服のハチマキ金髪リーゼントのあんちゃんが裸足で、寝ている私の1メートル上をガニ股で歩いて行こうとしました。

私は関わりたくないので息を殺すように過ぎ去るのを待とうとしました。しかしここで不思議な事が起こりました。私の中にいるもうひとりの自分、おそらく全ての記憶を持った素の魂の自分とでもいいましょうか、その存在が目を覚まして、その暴走族のあんちゃんに向かって「人の上を裸足で歩くとは何事だー!」と叫んでしまいました。

私の肉体についている脳の自分は怖がっているのに、魂の自分はとても強気でした。もう少しで過ぎ去ろうとしていた“あんちゃん”は立ち止まり、背中越しから振り返り、血走った目を光らせて物凄い怖い顔で「あ~~んっ!」と威嚇し、私の所に走って来て飛びかかり、暫く首を絞められ格闘しました。

どれくらいの時間か分かりませんが私はひたすら「ごめんなさい、私はあなたを救うことが出来ません」と謝っていました。するといつしかスルッと手の力を緩めて消えて行きました。

この時改めて思いました、霊とは戦うんじやなくて諭すのが一番いいと。

肉体から離れて星まで行った

それは、いつもの金縛りとは違う前兆のない金縛りが突然起こりました。

驚いたことに足の先から身体が宙に引っ張られて行き、いよいよ私の身体は逆さま状態で肉体から離れてしまいました。

寝相の悪い自分の姿もしっかりと見えて、ロフトで寝ていた状態から宙ずりでゆっくりと部屋を見渡すように旋回して行きます。さっきまで見ていたTSUTAYAのレンタルビデオがテレビの前に乱雑に置かれているのを見ながら恐怖心が沸いてきました。

このまま自分は死ぬんだろうか?奄美の親はこれを知ってたら悲しむだろうなとか、色んな事がよぎり始めました。

そんな事お構いなしに、私の身体はゆっくりと天井に向かって行く、肉体に戻ろうと思っても、肉体の筋肉運動のように身体を動かしてそこに戻るような事は全く出来ない。

天井の壁に近づきながら、この壁を抜けるんだと思った時に、あろうことか、研究魂に火がついてしまいました。この壁を抜ける時に壁という物質がどういうふうに見えるのか、全ての物質は分子が集まって出来ているという。

という事は、この分子構造を見る事ができるのかもしれないとワクワクし、心の中では「上がれ、上がれ」と唱え始めました。

いよいよ壁に突っ込む一瞬、暗くなっただけで直ぐに夜空が見え屋根の上です。そしてまだ一度も見たことのない屋根の上を幽体という姿で見て、なる程こういう風になっていたのかと思ってみたり、先ほどの恐怖はすっかり無くなって、周りの景色に夢中になってきた。

丁度、夜に飛行機が離陸する時に見る光景と同じで、家々の明かりが、おもちゃ箱のようにキラキラとひかり、だんだんと模型の街みたいに見えていく。

上に引っ張られる力はどんどんと加速して行く、自分の体から離れる程に何とも言えない幸福感に包まれていく。重力から解き放たれて、身体の重みや不具合もなく、肉体が持つ食欲等の色んな欲からも解放されて、呼吸する必要もなく、ただ、今まで体験したことのない幸福感に包まれている。

あっという間に生きていた記憶も消えていきそうな感覚を覚え、誰かと別れる寂しさもない。これが死ぬという事なのかと思いました。ならばもう重たい肉体には戻りたくない永遠とも思える幸福感に包まれていたいと思い始めていく。

オモチャの街はやがて美しいブルーアースへと変わって、周りは地球上から見るのとは全く違う星の数に驚かされました。

遠くの方に何故か1つの雲のような白いかたまりが見えてきました。どうやらそこに引き寄せられているようでした。近づくに連れて雲の後ろに人が立っているのが見えてきて、それが指導霊の仙人である事が分かりました。

「仙人に直接会える、会って話したい、沢山聞きたい」

だんだんと仙人の杖と身体半分が見えてきた所で、身体の芯に響くような低い重低音の声で「まだ、ダメじゃ」と聞こえたと同時に真っ逆さまに身体が下降して行った。

さっきとは逆に、ブルーアースが段々と大きくなって、オモチャの街並みが見えて、先ほどのマンションの屋根が見えたと思ったら、ものすごい衝撃で「ドスン」と身体に戻った。

目が開き肉体の身体を動かせた。

自分の肉体に戻り、この経験から感じたことは本当に地球は美しい、この美しい地球を神様は汚したくないんだろうなと感じました。

君もユタ?

ある日、新宿の居酒屋で遅くまで飲んで、帰りのエレベーターに一人で乗った時に、私と同年代位の男の子がベロンベロンに酔っ払って、壁にもたれてユラユラしていた。

私は絡まれない事を祈りながら、背を向けて下へ降りるためのボタンを押しました。
すると、いつの間にか彼は私の隣に寄って来ており、私の顔を下から覗き込み始めた。

私はたまらず「な、なんすか!」と切り返すと、彼はニヤリと笑いゆっくりと私の顔を指差し

『ユタ?』

・・・・・。

思わず「はい」と答えてしまった。

そうすると、子供のように無邪気な笑顔を浮かべて

『俺、沖縄』

私は奄美と答え、二人で喜びの握手を交わし、エレベターから出た後は何事もなかったように、それぞれ別々に歩いて帰った。

広い東京のど真ん中でユタに会い多くを語らずとも、互いにこれまでの経験まで分かり合えたような不思議な出来事でした。

日本○○科学協会

スピリチュアルを科学的に検証していこうとする歴史ある協会です。スピリチュアル好きの間では80年代に心霊ブームを起こした女性を世に出した事で知られています。

占い師デビュー後に自分の探究心から一人で訪ねて行きました。ここでは精神統一会があり参加費もお手頃で何度か参加させて頂きました。ここでの不思議体験をお話致します。

精神統一のレクチャーを受けて、20人前後で30分位正座して行います。
目を閉じて精神統一をしていると、身体が外から燃えるように熱くなるのを感じ(幽体から見た肉体の体温だったのか?)呼吸が苦しくて汗をいっぱいかいて大声で叫んでしまったと思ったら錯覚だった。おそらく幽体離脱をしかかっていたのだと思います。

そして、意識をしっかりと自分に向けて落ち着けていると、今度はどっからともなく、お線香のいい香りと共に、風鈴のようなとても心地よい、高い音程の金属音が「チリンチリン~」と遠くから耳元に近づいてきました。それは普通に五感で感じましたので指導者が精神統一に誘う方法として行っているんだと思いました。

その後、霊感で視えてきたものがありました。正面の右側の隅に着物を着たお婆さんが視えました。背は低くそうでしたが背筋がシャキと伸びているので存在感があります。右手をお腹の所の帯を触るように位置させている座り方は特徴的でした。

精神統一が終わった後はテーブルとお茶が用意されて、自由なお茶会が始まりました。殆どが中年以上の方々の中で一人だけ20代前半の私は参加者から見れば興味深い存在だったかも知れません。

お茶を入れてくれた常連さんのような気さくなお婆さんが、私に声をかけてくれたので、色々と聞いてみる事にしました。

会話:

さっきお線香のいい香りがしたんですが、この部屋のどこを見てもお線香が見当たらないのですがどこで焚いてたのでしょう?

「あら?あなたは霊感があるのね、それは亡くなった前の精神統一会の指導者がいつもお香を焚いていたのを感じたんですね」

その指導者というのは、(霊感で視た着物のお婆さんの事を伝えた)あそこの隅でこんなポーズで座っていたお婆さんですか?

「まぁ、あなたはそこまで見えたんですか!」
「それは間違いなく前の指導者です。生前、私がこの世を去っても精神統一会の時間にはここに来て見守り続けると言ってらしたのよ」

そうだったんですね。

「やはり、この時間の間だけ、たまに線香の香りがするって言う方がいらして、私などは随分と長くこちらに通ってますが、一度もないわ」

あと、鈴の音がしました。

「まぁ、それは凄いわ!高級心霊が近づいて来る時のサインと言われているのよ、その音を聞ける方は少ないと言われているわ、あなた本当に凄い能力をお持ちなのね」

この精神統一会を守り続けている先代の指導者様のお力で、この体験をさせて頂けたのだと思います。

五感で感じるレベルはそうそうないので、この場所が相当のパワーを持っているのだと思いました。

世界の神仏が顔を見に来た。

ある時、寝る前に目を瞑ると、大きな大仏さんが座禅のまままるでUFOのようにゆっくり回転しながら飛んで来た。その後も、後から後から観音様等や、日本の八百万の神々、インドの神々、物凄い数の神仏が右から左へと私の顔を覗きこみながら流れて行くのが視えた。

後から親様にその話をした時に、ユタになって行く過程で色んな神々やご先祖様が、自分を拝んで欲しいとやって来る、しかし、”あたえ”と言うのがあって、自分の拝むべき神様を間違ってはいけないよ、間違うと失格になるよ。

と、教えて頂き、うかつに、あれこれ手を合わせなくて良かったと思いました。

ある奄美で有名な女性のユタ神様は、私にこんな話を聞かせてくれました。
成巫式を終えたあと7日間は絶対に外に出ては行けないと言われたので厳重に戸締りをして神棚の前で過ごした。その間色んな神々が自分を拝んで欲しいとやってきてはドアをドンドン叩かれたりが続いて怖かった。最後の7日目に長い黒髪の美しい天照様が廊下に立っているのが視えて、自分が拝むべき神様を悟ったと仰ってました。


神がかり

 

この頃は写真に光が映り込む事が多くなった。

延期願いから10年、28歳になる頃それは突然起こりました。

17歳の時にユタの判事で自分がユタの使命を受けていることを知らされ、10年の延期願い(ユタになるのを神様に10年待ってもらう儀式)からちょうどその期間が終わった頃のある日。

私は東京で、すでに24歳からプロの占い師として活動をしていて、数名のお客様とお茶を飲みながら雑談をしていました。突然目の前が真っ暗になり、意識が薄れ力が抜けていき、上から押さえつけられるように倒れこんでしまいました。

そして、私の口が勝手に普段の声や喋り方ではない歌舞伎のように低く響く声で“伊達正宗”と名乗る者が私の身体を使って話し始めました。

「この者(自分の胸の所を指差しながら)は私(伊達政宗)の生まれ変わりである、私は戦争のない平和な国を願った。父親は自害した。明智光秀の事・・・」等についての話を始めました。

一緒にいた歴史好きの者がすかさず筆記をしてくれましたが、非常に早口で筆記者も全てを書き留めることはできませんでしたが30分ほど語られました。

あとで、筆記者が分厚い歴史書を引っ張り出し検証したところ、まさに語られていた時代背景や人間関係などが符合していて驚いたと興奮していました。ただ、歴史的には謎になっている部分についても触れていましたが、それは残念ながら検証不可能でした。

やっと私の身体が何者かの支配から開放されて正気に戻ったのもつかの間、誰もいないはずの台所から大きな音が!?

「ガラガラ、ガッチャン」

びっくりして、台所に行ってみると、コンロの蓋が落ちていました。これは偶然だと思い元に戻そうとしてみて、その理解不可能な現象に気が付きました。

この頃、私は田園調布の分譲賃貸マンションに住んでいて、この貸主が料理が好きだったのか、台所は重厚なドイツ製のもので、コンロが4個もあり、開け閉めできる重たい鉄板の蓋がついていました。

音がする前には、蓋をあけて、コンロにヤカンを一つ乗せてあっただけなのですが、音がしたあとは、この鉄板の大きな蓋だけが、宙を舞ったように台所の足元付近に落ちていたのです。

もしも、開いた(立ち上がってる)蓋が倒れたなら、直前にあるヤカンが動くはずなのに、ヤカンは変化なし。何よりも決定的なことは、蓋を戻そうとした時に、この蓋を固定していた太いボルトが外された形跡がないこと。

つまりこの蓋は私が住んでから一度も外したことのない固定されたボルトからテレポーテーション(すり抜ける)したことになるのです。現に私は、蓋を戻す時に2箇所のボルトを外して取り付けなければならなかったのです。今まで、何度も開閉していましたので元々外れていたとは考えられません。

それから台所に立った時に人の気配を強く感じたので、霊視で視ると鎧兜の男が長い日本刀をもってちょうどコンロ側に向って立っていたので、この霊がその刀で鉄板を飛ばしたんだとわかりました。

あまりにリアルに視えたので、直ぐに家に置いてあったポラロイドカメラで写真を撮りました。写して直ぐはキラリと光る日本刀の長い刃の部分だけが写っていましたが、時間と共に薄くなり、今ではよく見ないとわかりません。

 

ポラロイド写真をスキャンしたもの

そして私は直感しました。ユタになる日が来たことを。
そして、ユタになる前段階として火の神を祀らなければならないことを。

後で知ったことですが、ユタになる者は“火の神”、“水の神”を祀ることが土台となっていました。

文明の始まり、人は唯一火を扱える事で優位に立った、その火に感謝し天に昇る煙に祈りを込めて、神との交信が始まりました。

その煙が今は線香に変わったのだと私は考えます。

 

霊視で視たお姿をクレヨンで描いたものです。

2017年4月
私は伊達政宗の生まれ変わりであると言葉が出ても半信半疑でいました。伊達政宗のファンでもなく、知っていることは伊達男の語源であるとか、その程度の知識しかありませんでした。少し気にはなっていたものの、それ以上追求する気も起こらず、時が過ぎ22年が経った頃、突然、伊達政宗のお墓がある仙台に行く仕事が入りました。何かの導きかもしれない、この機会に自分なりの検証をしてスッキリさせてみようと、行ってみることにしました。

伊達政宗のお墓がある神社の敷地内に入ると、どこからともなく、私に向かって霊的な声が聞こえてきました。「伊達政宗公のおーなーりー!」この言葉が私が歩くたびに聞こえて来るのです。すこし照れくさいような不思議な感覚になりました。

お墓の前に立ったとき円筒形の光の筒がお墓を包み込むように輝いていました。私にも同じ光が包み込んで来て、まるで鏡の部屋に立って自分を見ているような、何とも言えない不思議な感覚になりました。

「美しい物がこの世には沢山あるという事に、皆の目が向くようにしたかった。それに気づけば戦争がいかに愚かなものとわかるはずだからだ」

そんな、伊達政宗の数々の思いが私の胸の中に言葉として、次から次へと響いてきたのだ。

なるほど、だから伊達政宗の関係するお墓やお城はど派手なんだと思いました。

それから、博物館に入ってみて驚きました、自分が霊感で視たのとソックリな絵が飾られていた。

私はここに来て、伊達政宗の生まれ変わりではないと否定することが不自然に感じるようになりました。

だからといって、一般の常識人方に認めて貰いたいともさらさら思いません。
私の一つのスピリチュアル体験談としてここに残せれば満足なのです。

神が姿を現した日

ヒヌカン(火の神)を祀り終えて、床についた。
すると、低く響き渡る声で私の名前を何度も呼ぶ声が聞こえる!

目を開けると目の前に、大きな金色に輝く龍の顔が・・・。
体をくねらせて、私の方を向き私の名前を呼んでいる。

私は、自分の本名から遠ざかっていたので、しばらくぶりに呼ばれた事に嬉しささえ感じていた。
(いくら改名をしても、神の元では本名しか通じないのかもしれません)

私は、心の中で、「はいなんでしょうか?」と答えた。
すると今度は、とても美しい白馬が右側の方からスーッと現れてきた。

そして、最後に真正面から、神々しい光と愛に満ち溢れた女神が姿をあらわした。
私は、心の中で一生懸命問い掛けた「何でしょうか神様、私は聞きますどうぞお話ください!」

 

女神様のお姿をクレヨンで描いたものです。

しかし、龍神様の最初の呼びかけ以外は、何も語ることなく姿を消した・・・・。

次の朝・・・・。

目覚めた私に、隣で寝ていた妻が、不思議な事を言い始めた。

昨晩、(私の体験と同じ時間)瞼が物凄く眩しくなって、何事かと思っていたら、男の人の声で
「明日、神がまいる、酒と水を用意しなさい」と聞こえたと・・・。

私は何の事だか分かりませんでしたが、とりあえず用意して手を合わせた、すると私の口から勝手に
大きな声で、言葉が出てきた!

アマテラスのみこと~!

「えっ!?」「アマテラス?」
天照といえば、日本の太陽神といわれる天照大神?

私は予想して無かった言葉に驚いた。
どうしてかと言うと、この日まで、私は聖書が好きで、私にとっての神は“ヤハウェイ”であり
キリストや精霊たちとの交信を試みていたからです。

仏教なども少しかじってましたが、神道に関しては一切興味が無かったのです。
そのころ、私は『精神世界研究会』というグループを作っていて、オーラの見方や
ヒーリングそして、前世催眠など、皆さんで実践を通して検証と実験をする研究会を
開いてました。

その研究会でも、私はいつも聖書や天使の話ばかりしてましたから、
よもや私に「天照大神」が関るとは誰も想像できなかったと思います。

そして、研究会のその時のテーマが『自動書記』でしたので、
研究会の時間に、訓練も含めて集まった5人のメンバーにそれぞれ紙を渡して、
それぞれが、何を書いているか見えないように後ろ向きで、この課題を与えてみた。

「昨日私の所に神がやってきました、その神の名前を皆さん自動書記で答えてください」

そして、一斉に開いてみて、絶句した!!

『アマテラス』4人の紙にこの文字が・・・。

私は、メンバーにアマテラスについて話をした事が無く、私自身もよく知らない神様でしたし、
なにより、今までの流れを考えると、メンバーなら『キリスト』とか『大天使長ミカエル』とか
答えそうなのに・・・。

そんな事があって、私はいよいよ正式ユタになる決心をしました。
私が行くべき道があるならば、またそれが正しい道で、人様の役に立つなら前に進もう!

やはり、正式な儀式の最高潮の場面においても、親神(指導者)から「神の名をあげて下さい」の問いに、
神がかりの状態から、あの時と同じ神の名を叫んでいました!

アマテラスのみこと~!

今になって思えば、奄美のユタの基本の神は天照大神様なのです。
つまり私の口から出た、神の名は間違いではなかった・・・。

ユタの証明

親神様(指導者・霊的な親)を探すため、急遽奄美に10日間程の予定で行くことになりました。私は真っ先に高校生の時からユタ絡みではお世話になり、よく遊びにも行っていた近所の男性ユタの所にお願いをしにいきました。10年の延期願もここでして貰っていたので、てっきり喜んで親神様になって貰えると思っていたのですが、なんと「今は子神(弟子)はとってない」と断られてしまったのです。

 私は奄美の滞在期間もありますし、考えている時間もないので、とにかく手当たり次第ユタ神様を当たって自分が納得出来る親神様になってくれる人を探すことにしました。(後から知らされた話ですが近所の男性ユタに関しては流儀として何度か断られてもお願いに行って許可をもらう、というのがあったみたいです。)先ずは知り合いや親戚に当たって情報収集をして奄美のユタ神様リストを作りました。当時の奄美のユタ神様に相談に行くスタイルは、ほぼアポ無しで直接行って順番待ちをして判事をしてもらう形でした。

10人のユタを訪ねて廻りその中で、私の神様が一番喜び反応を示した芋高神様と出会ったのです。現在の私にとっての導き親である芋高神様の所で判事してもらった時。

神棚に向かって神口(そのユタが個人的に神様から直接頂いた特別な祝詞)でなにやら、そこに誰かが居るようにブッブッと話している。そして突然振り返り私を見たその目には、大粒の涙・・・。
「貴方のことを神様は首をなが~くして待っていたよ」
「貴方が今日ここにきて神様はとても喜んでいて、私もとってもうれしいのよ」
「もう、神様を待たせることは出来ないから、すぐに正式ユタになる儀式をしなければなりませんね」

そして、

「その前に貴方がユタである証拠を今見せようね」
と、言って神棚の正面に座るように指示され、私は、手を合わせて目を閉じた。

ドンドンと太鼓がテンポよく打ち鳴らされ、独特の節回しで古い方言を使った祝詞『テルコ願い』が
始まった。

太鼓の音を聞きながら、遠い昔にタイムスリップしていく感覚を覚えた。
魂を揺さぶるこの単純な“リズム”を私は記憶というよりも、もっと深い部分で聞き覚えがある。

心理学者の『ユング』の言葉を思い出した。
『集合的無意識』(人間は意識の奥深くで民族を超えて繋がっており、人類共通の記憶が眠っている)

私は遥か遠い昔から、この打楽器による単調なリズムで
火を囲み、神に祈りを捧げてきたのではないだろうか?

今、私はそれを感じてる・・・。

すると勝手に私は、泣きたくもないのに涙があふれ大声で泣き出した。
一緒に来てくれた私のおばあさんも、なぜかもらい泣きしていた。

あまり泣くので、みかねた芋高さんが、神棚に向かって「はいはい、神様あまり泣かせないでね」の言葉に私の涙は、ピタッと止まった。

そして、祝詞が続くと、今度は私の体は立ち上がり勝手に知るはずのない古代の踊りを踊りだした!

そう、この踊りの型がユタになる者しか踊れない『ユタの証明』なのです。

しかし、芋高神様は子神を持つ役割を持っていないとのことで、兄弟ユタに当たる「興ナツコ神様」をご紹介頂き、最初の親ユタになって頂きました。


興神様にお会いした時にもまた、1から判事をして頂き、神様の証明の踊りを見定めてもらえました。

「あんたは、高神(タカガミ:高級神霊)ですよ、ユタのドンになる人、有名なユタになる人よ!」

と、 親指を突き出しながら興奮してとてもとても喜んでくれました。

「神様はもう待てないと言っているから直ぐ成巫式やろうね」

「私の魂は、思松金という神様の腕から生まれたが、あんたは神様の眉間から生まれているねぇ~。
どんなユタになるか楽しみだね~。私が生きている間に見られるといいが。」

「私の神様はマヤの国からきたと言ってたけど、娘に聞いたら外国に本当にあるらしいね。」
「ある時、滝行しながら六根清浄を唱えている時スミ文字で天照と言う文字が視えた時に、やはり私は奄美のユタ神様なんだとわかったねぇ~」

気さくに、色んな話を聞かせて貰えました。

その後、十分にユタの勉強を教えてもらえる間もなく天に帰られたため、36歳になる年に再び近所のおじちゃんユタ神様にお願いし、神つなぎ(成巫式)をして親ユタになって頂きました。


聖地探し


神つなぎの前の準備期間

親神様との対話

神つなぎをするには、神様から力をもらうために、あなたに与えられた拝む場所(聖地)を見つけておかなければならないよ。

海の神様を拝む場所、水の神様を拝む場所。神様が教えてくれるはずじゃが、あんた自分の場所わかるね?

私の体が丈夫なら、一緒に探しにいけるが、もうこの年(85歳)になれば足が悪くてついていけないが。

ユタはずっと正座をしていることが多いので、早くから足を悪くする人が多い。そんなことから、最近では低めの椅子に座って判事をするユタも見かける。私もこの親神様から正座をしないように言われて椅子に座って判事をするようにしている。

「大丈夫です、一人で探せます」

一昔前は、白い馬に乗って、馬に白玉を食べさせ祝詞を唱えると、馬が勝手にその場所まで連れて行ってくれたらしい。海神の聖地、水神の聖地へ。

今はもう聞かなくなったが、受け継ぐべき大昔の神道具を掘り当てるということも一連の行事に入っていたらしい。

私も神道具が埋まっているであろう場所は脳裏に映るのだが、そこまでの行き方が分からないでいる。もう誰も通らなくなった、どこかの山の中の細い道端に壊れた仏像があり、その下に埋まっているはずだ。いつか探し当てたい。

聖地を絶対に間違えてはいけませんよ、間違えるとフリムン(精神に異常をきたすこと)になって神つなぎは成功しないからね。

「私の海神様を拝む場所はなんとなく分かるのですが、水神様の場所は分かりません」

だいたい、あなたが生まれた場所に一番近い海と、湧き水の出ている山にあるはずですよ。あなたが命を与えられて、お母さんの子宮の水の中から外に出て、一番初めに体を洗った水が、水神様の聖地になるはずじゃが、あんた生まれたとこ何処ね?

「私は、産婆さんの手によって小浜町の自宅で産まれました」

なら、そこのあたりで、まず探してみなさい。あなたが体の向かうほうへ行って、その場所に立って心の中で、「私の拝むべきところはココですか?」と尋ねなさい。そしたら、神様は答えてくれるはずですよ。

海神様の聖地探し


海神様の場所は夢で何度も見ているし、私の本家のある集落のはずだ。夢の中では、大きな祭り石の周りに丸い石を積み重ねて、村の人や白衣を着た方々が祈りを捧げている。

確か実際に円集落にその場所があるということは、家族の誰かと話した記憶がある。ユタのことにも詳しいカメばあさんなら知っているはずだ。

「ばあちゃん、前に聞いた円集落の祭り石の場所教えて」
「えっ、私は知らないよ、誰に聞いたの」

夢の話をしたが、思い当たる場所はないという。祖父は、もうすでに亡くなっているし、神様を信じない人だったので、その情報を教えてくれる人は他に考えられない…。そうだ、円集落で生まれ育った父なら知っているはずだ。聞いてみよう。

自然に対しては敬意を持っているが、神様等はまったく信じていない父親。

「お父さん、前に話した祭り石の場所案内して」
「えっ、祭り石って何?」
「海神様を拝む場所だよ」
「知らないね~、そんな話をした覚えもないよ」

いったい私は誰に聞いたのだろう? 夢の中で誰かと話したのかなぁ?

しばらく考え込んでいた父が、思い出したように、

「その夢の話のように誰かが拝んでいる姿は見たことないが、子供の頃、海岸にある大きな石で遊んでいたら、集落の年寄りに怒られたことがある」
「なんて?」
「その石は神様が座る石だから、祟りがあるぞ!」

おぉ! そこだ、間違いない…。

「今度そこに連れて行って」
「いいけど、何か印が付けられているわけでもないし大体の場所しか分からんぞ」
「大丈夫、見れば分かる自信がある」

よし、これで海神様の聖地は確保したのも同然。

水神様の聖地

とりあえず、言われたとおりに私の産まれました場所に一番近いアムィゴ(水神を拝む聖地)に行ってみた。そこはけっこう拝んでいるユタが多いらしく、誰が作ったのだろう、「水神」と書いてある石盤が置かれていたのですぐに分かった。場所は親神様から教えていただいていたし、山に入ってすぐのところにある小川なので足場も悪くない。

そこで、手を合わせて言われたとおり「私のアムィゴはここですか?」と問い掛けてみた。

すると突風のような風圧とともに、「違う」という声が聞こえた。

あと近辺の聖地を数箇所回ってみたが、どれも違うという。やはり私の水神の聖地も円集落にあるはずだ、という思いがだんだん強くなってきた。

行ってみよう! 行けば分かる気がする…。

円集落にて

父に車の運転と道案内を頼んで、2人で「円集落」に行くことにした。そこの集落はほとんどが円という苗字で、バス停も円なら公民館も円、皆先祖が同じなのか、と思うほど。

親戚も多いので、行く時は大量にお土産を持っていかなければいけない。ちょっと寄るにしても大騒動なのだ。

その日の朝、天気予報は曇りのち雨で、昼から大雨になるでしょうと伝えていた。9時頃出発したが、外はいっこうに晴れる気配もなく太陽は黒雲に覆われ薄暗い感じだった。

円集落は自宅から車で40分位の場所にある。車に乗って、だんだんと円集落に近づいて行くと、私の心臓は飛び出さんばかりに高鳴り、心が踊る(神様もう少しです。今、会いに行きますから正しく導いてください)。

円集落に到着

海岸沿いに車を止めて、車を降りて、父があたりを見回し、

「あれ、どこだっけ…」

私はその言葉に返事をするまでもなく、体が強い力で引っ張られていく。岩だらけの海岸をぴょんぴょんと跳ねるように、一つの立石に向かって行った。そして、その石の前で足が止まり、なぜかこの石に間違いないという自信に満ちあふれていた。

後ろを振り返ると、父が恐る恐る足場の岩を確認しながらやっと追いついてきた。その岩の周りには誰かが拝んでいるというような形跡もなく、私が夢で見た岩と似ているが、高さが低いことが気になった。

父が「この岩で間違いないのか」と言いながら、民家との距離感などを確かめながら、古い記憶をたどっていた。

「おぉ、そうだ、この岩に間違いない。しかしよく分かったね~」
「当時はここまで砂が上がってなくて、もっと高い真っ直ぐな岩だったんだが…」

それを聞いて私の謎も解けた、やはり夢で見た場所はここで、おそらく父が生まれるもっと前の風景だったんだろう。

海神様に祈る

*後で私はこれから来るユタのために目印に注連縄を捧げた。持って来た線香を立てて、ススキ(アザハ)《*切れるから刀の代用》を束ねたものを両手に持って、

(神様、私はやっとここまでたどり着きました。神の道を開いてください、そして私の行くべきアムィゴをお示しください)

目をつぶって祈っていると、祝福しているかのように、大きな太陽とその中に1人の神様の姿が現われた。そして、アムィゴのことを聞いた時、山奥の滝の風景が視えてきた。

(ありがとうございます神様、そこに向かいます)

祈り終えて振り返ると、父が何かにおびえたような顔をしてこちらを見ていたので、

「どうしたの?」

と聞くと、私が祈り始めると、雲が割れて私の周辺だけに日差しが神々しく降り注ぎ、祈りが終わるとすぐにその光が消えたらしい。私はまったく気がつかなかったが、神を信じないという父も、この光景には恐れ沈黙のまま首をかしげていた。

車に戻り、今神様に教えていただいた滝の風景について父に尋ねてみた。

「滝? この円集落には滝などはないぞ」

考えこんだ父は、とりあえず親戚の家に行って聞いてみようということで、お邪魔することにした。2軒ほど聞き込みし、また1軒しかない商店のおばちゃんにも聞いたが、誰も知らないと言う…。

そんなはずはないと、実際に足で小川のある所も探したが、私の体が反応しない。ずいぶんと時間がたったので、半分諦めムードで今日はいったん家に戻ろうということになり、車に乗り込み、少し走らせた時に、バックミラーに映る、手を振りながら車を追いかけてくる”おばちゃん”の姿が見えた。

父はすぐに車を止めた。

「あんた達、アムィゴの場所探しているんだって?」

この人も私の親戚の一人で、この集落では物知りとして知られている人だった。

「どうして、私の所に尋ねて来なかったの?」

私の父はバツが悪そうに愛想笑いをしていた。車を止め直し、私がユタになることや現在までのいきさつについて説明した。

「私も滝のことは知らないが、この集落の最後のユタが”アムィゴこもり”という場所の山奥に自分の場所があると言っていたが、そこに行ってみればどうね?」

それを聞いたとたん私の脈が速くなっていくのを感じた。

「おばちゃん、その場所案内して!」
「分かった、じゃ直ぐ行こうね」

歩きながら…。

「普通の人は、山に入ってすぐの所で拝んでいたが、そのユタは私の神は高神(タカガミ)だからと言って、山の奥まで上りよったが、もしかしたらそこに滝があるのかもしれないね」

アムィゴこもり

民家の細い道に入り、迷路のような道を通り抜け、一度来ただけではたどり着けそうもないところに、そこはあった。

そして、小川を包み隠すような草木のトンネル。水に濡れないように岩の上を足場に気を付けながら、山奥へと進んでいく…。

進めば進むほど、私の胸は高鳴り、引っ張られる力が強くなってきた。

「まだ先かね~」

物知りおばちゃんが言った。

「あっ、皆さんはゆっくりでいいですよ、ここに間違いないと思うから私は先に登ります」

父は、おばちゃんを援護するように見守りながらついて来てくれている。ずいぶんと登ったところで、薄暗い草木のトンネルの先に光に照らされる岩肌が見えた瞬間。

私の足はさらに加速し、まるで吸い寄せられるように、ごつごつした岩々をまた、ぴょんぴょんと跳ねるようにそこに向かった。

そして突然、目の前に立ちはだかる、まるで人の手によって作られたような垂直に切り落とされた高い岩肌。神々しい”滝”があった!

私は、その滝の岩肌に、2階から落とされたくらいの勢いで、叩きつけられた。しっかりと両腕でガードしたが、その両腕がびりびりしびれ、頬が勢いで岩肌にあたるほどだった。

そして、「ここだ! ここだ!」と、どこからともなく聞こえる声と同時に、私の体を使って何者かが、岩肌に抱きつきながら「わぁ~」と、大声でうれし泣きをしている。

後からやっと追いついた父達も、私が言ったとおりの場所、その神々しい空間、風もないのに感じる風圧に、驚きを隠し切れずに、目を丸くしてしばらく黙ったまま、あたりを見回していた。

「こんな、神々しい場所があるなんてねぇ~」
「私は、この集落のことは何でも知っているつもりでいたが、びっくりだね~」
「このアムィゴこもりに来るユタは、たいがいもっと下のほうを自分の場所として拝むんじゃが」
「あんた一人だけにこの場所が与えられたとしたなら、ほんとに凄い高神に迎えられたんだね~」

そういいながら、物知りおばさんは、その滝にゆっくりと手を合わせて拝んでくれて、私にも手を合わせて、「神じゃが、神じゃが」と言っていた。そして「この集落もこれで安泰じゃね」と言いながら、私の肩をさすった。

*ここにも同様に注連縄を捧げた。

ただ、この時、実際は滝と言うほどの水の流れはなく、この上にダムを作ったことが原因らしい。私が視た映像はもっと水が勢いよく流れていたので、少し寂しい気持ちがした。

海神様の場所の話もしたら、昔は何人かあそこに導かれて、拝んでいるユタを見たことがあるとのこと。そして、道路建設にあの岩が引っかかっているが、神の岩を動かしてはならぬという長老達の声によって、今もそのままにしてあること等の話を聞かせてくれた。

そんな事を知るはずがない私が、その場所を探し当てたことにも感心していた。

そして、お世話になったおばちゃんにお礼を言い、畑で取れた”かぼちゃ”などをいただき、明日「神つなぎ」のためにまたやってくることを伝えて、その場を去り車に向かった。

ずーっと曇り空だったけど、雨が降らなくて良かったねと話しながら車に乗り、最後に乗った私が、ドアを閉めた瞬間。

「ドドーッ」と、まるで、私達が車に乗るのを待っていたかのように、大粒の雨が降り出した。父が私の方を向き、「水神様が喜んでるんだね」と言った。

私は、満足感でいっぱいになった。そしてユタになるための2つの条件をクリアーすることができた。それも皆さんの支えがあればこそ、両親、カメばあさん、集落の方々、本当にありがとうございました。

明日は「神つなぎ」本番だ! いよいよ、私はユタになる…。

 
《女神様とツーショット写真》
女神様が立っている所に向けて写したら白いモヤが写りました。

最後に

ユタの古い言い伝えで、「太陽の子は照る日にもさされん、降る雨にも打たれん」という言葉がある。

これは、天命でユタになる人は、太陽光線を浴びることもなく雨にも濡れない、という意味に思われていますが、実際に雨が降っている日に外に出て濡れないユタがいるとは思えないので、神に導かれる重要な日には、南国の熱い太陽からも身を守られ、雨にも濡れないように守ってくれるということではないかと、私はこの体験から思いました。


神つなぎ

この儀式の内容を見よう見まねで行ったりしないでください。
こちらに書けない重要事項も沢山ありますし40分にわたる神唄や祝詞がなければ成立致しません。興味本位で行いますと神障りが起こる場合があり大変危険です。
私が指導者として行われなかった件に対しての一切の責任は負いません。

正式なユタになるための儀式

1.ネリヤカナヤ(海底の神国)で道を開き、
2.アムィゴ(水の神様)と神人合一し、
3.テルコ(太陽神)に認めてもらう。

神つなぎの前日 1994/10/9


鹿児島県名瀬市(当時)の実家にて。
親神様(故、興ナツコ)が私の自宅に来て明日の準備をしてくれる。
私は、親神様にお盃を差し上げた。

神つなぎ当日 1994/10/10(月)旧暦9/6


まず始めに、親神様が儀式として私に盃を渡し、そして参加してくれる子神様3人に盃を渡す。

私を含む5人の神様がそろったところで、神棚へ今日の神つなぎの始まりを告げる。

海神様へのご挨拶

盃を交わした後、車で私の親元の龍郷町『円集落』に到着

霊感で神様に教えていただいた、私の聖地。

海神様に捧げる祝詞が始まると直ぐに私の体に神様が乗ってきて、喜びの踊りを踊りだす(神がかり)。

水の神様へご挨拶 《覚醒》

海からその足で山の奥にある『アムィゴこもり』に到着

水神様への祝詞が始まる・・・。
ススキを両手に持った手が震えはじめ、意識が遠くなる。
体の中が燃え上がるように熱くなり、内なるエネルギーの爆発。

そして体がかってに踊りだす。
私は「わぉー、わぉー」とターザンのように叫び、その声は山の中をこだましている。

ススキを刀のように扱い、四方八方に向け叫び続ける《目覚め》。
「天照乃命~」「ア・マ・テ・ラ・ス~」・・・・神々への賛美。

自宅に戻って


カメばあさん 「おかえりなさい」


家に入る前に玄関先で身を浄める。

親神様の教え

■ 写真左下の瓶の中に「ミシャク」が入っている。

裏方


祭りを祝うために大勢の親戚達も来てくれているので、祭りをしている間は裏方も大変です。


神棚にて


ドン、ドンと太鼓が打ち鳴らされ、祝詞が始まる・・・。

私も一緒に祝詞を唱えているが、例の如く体が小刻みに震え始める。

剣の舞

カミウタが始まると、
私の体は神に支配され、
ススキを刀代わりに、
私の知るはずもない踊りを神棚の前で、
皆さんに披露するかのように踊りだす。

後で見ていた方に聞くときれいな
型を作って踊っていたらしい。

よく分からない親戚のおばあちゃんは、
私が踊りを習っていたと勘違いする人も。

皆で踊る


神様へのお供え物を持って円を描くように歌を歌いながら踊る。
先輩の兄弟神が踊り方を皆に指導して、少し練習してから始める。

いよいよクライマックス・・・・。

天ミシャク

皆で一通り踊った後、親神様の「1、2、3」の号令で「3」の時、
盃に注がれている「ミシャク」を天井に投げる。

天井に付いた「ミシャク」がタレおちなければ、神様が盃を受け取った(認められた)という証拠とする。めでたくタレおちることなく大成功!

投げた瞬間、自分の感触としても神様が受け取ったと感じた。
「終わった・・・」と思った瞬間。

シマウタの「六調」という速いテンポのウタを親神様が歌いだし、
皆で私を囲むように踊りだす。

子神達は見ていた参加者も手招きをして、中に招き入れ、踊る、踊る・・・皆で踊る。

(島の人はどうしてこんなに踊ることが好きなんだろう)

私も踊るように促されるが、神がかりではなく素面の状態では、どうやって踊っていいのか、とても恥ずかしかった。

親神様は太鼓をたたきながら、楽しそうに私に向かって、

「神じゃが、神じゃが、うれ、うれ、うれ~♪」

と叫ぶ。

そして、親神様が息が切れたところで、

神つなぎ無事終了


仙人から女神へ

私が正式な奄美のユタになって女神様を迎えた時に、仙人は私の口を通してこう言った。
「ワシの役目は終わった、ワシはまた指導しなければならない者の所へ行かねばならない」
そう言い残して、高笑いしながら私の所を去り、二度と現れなくなった。少し寂しい気もするが、「ユタの道」へ導く霊的指導者としてどこかで活躍していることでしょう。

タイムスリップ

ある時こんな夢を見ました。

夢というよりタイムスリップをしてその場所にいるような感覚のものでした、気温、湿気、匂い等も感じる事ができ、鮮やかな情景の中に自分が立っている、しかし周りの人には自分が見えていなような感じ。

場所は円集落、まだ大島紬がなかった頃の時代のようだ、茅葺き屋根で高床式の小さな家々、背中にサトウキビ等を背負った人達にすれ違う、薄い芭蕉で出来たようなヨレヨレの着物を着ている、藁草履を履いている人と裸足の人、広場の中心では牛の力でサトウキビを絞りだしている。そして一軒の家の前に人が集まっていて、コソコソと噂話をしている。

かわいそうに、あれは神障りなのにねぇ~、助けてあげられないのかしらねぇ~、

家の引き戸が開いていて、中の様子が見れた。

布団に横たわるお婆さんが、奇妙な言葉を発しながら、今にも命絶える瞬間のようでした。
親族もなすすべもなく見守るしかないような雰囲気でした。

この夢で見た風景の話を祖母にした所、村の情景はそんな感じだったと教えてもらいましたが、この神懸かりのお婆さんの事については何も分りませんでした。

不思議な夢

ある時こんな不思議な夢を見た。
とても古い時代の様子で、朝鮮半島から米を伝える為に派遣されたシーラと呼ばれる女性がお供の人数もそこそこに小さな船に乗り沖縄へやって来た。彼女は沖縄の人達に米の作り方を指導して崇められ、米は本土にも広がり、やがて彼女は神聖化され天照大神の原型となったと夢では教えられた。

首里城へ導かれる

ある時から沖縄の首里城がとても気になっていた、高校生の時に修学旅行で行った時は特に何も感じなかった。

自分の勉強の為に、偶然知った女性のユタ神様の所に行ったら、その方が神棚に手を合わせて振り返り「神様が"しゅり”と言っておるが、あんた意味わかるね?」私はびっくりしました、そんな事もあって導かれるように首里城に行きました。

沖縄の親戚の車で首里城に向かっている時に、だんだと物凄い動悸がしてきました。
首里城が近いんだと直感したので、聞いてみると。「よくわかるね~、もう少しで着くよ~」と、不思議そうな顔をしてました。


そして首里城の中に入りこの絵を見たときに、気絶しそうな衝撃と、こみ上げてくる懐かしさで、身体が悲鳴のような泣き方を始めたので、私はタオルを口に突っ込み声が出ないようにして、親戚に人のあまりいない所に連れて行って貰い、そこで落ち着くまで少し休ませてもらいました。

その後、城内を歩いて回るときに、私自身の感覚なのか、私の神様の感覚なのか、はっきりと、ここに居た感覚があり、とても懐かしい思いを噛み締めるように見て回りました。

おそらく私の女性の神様が私の身体を使ってここに来たかったのではないかと思ってます。


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