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神ざわり

この記事は約24分で読めます。

神障りとは

神障り=ユタ神様になるべき人として産まれた天命の証(神の石を動かしたりして災いが起こったりする現象などにも使う言葉)
神懸り=神様が身体に乗りかかり踊らされたり、神の言葉を話したりする。

天命を持って産まれただけではユタ神様になれない。沢山の困難や試練に耐えて、間違いのない自分自身の聖なる川を見つけ神に認められてユタ神様として落ち着けるのだと思います。

また、神様にお願いして使命を放棄することも、延期することも出来るという事も知っておいて欲しいと思います。

自然界で起こる事と同じように、霊界という大海原に出た産まれたてのユタ神様はスキだらけですので、色んな敵が狙ってきます。迷い神、迷い霊、狐、狸、等に取りつかれて、裸足で歩いたり、わけのわからない言葉を発したりします。

但し、一般の方には神障りと精神疾患は見分けがつきにくいですが、精神疾患には大概原因があり過去の事例による病名がつきやすいが、神障りは過去の事例に当てはまりにくく病名も付けられにくい。

そして、大きな違いは神障りの場合はサインを出します。

そのサインはこのページ若しくはこのサイト全体の中に散りばめていますので、もし身近に疑いのある方は参考にしてサインを見つけ出し適切な対応をして下さい。周りの人達の理解と助けが必要です。


神がかり

取材に来ていた女性が祭りの終わりに突然神がかり状態になった。
本人が写っている場面は削除しての公開です。


ゆり子の10日間

昭和39年、辰(ユタは午の次に辰が多い)の年に玉のように可愛い女の子が産まれた。
その子は誰からも愛されるようなとても優しい子として育った。

やがて高校二年生になり18歳になったある日の事。

母:上で泣き声がしない?
父:え、歌でも歌っているんじゃないか…。

ドスン、ドスン、ギヤー!!

父:おい、お前上見て来い。

いつもなら静かに勉強をしているはずの二階のゆり子の部屋のドアをそっと開けてみた。
中は真っ暗で一瞬人の気配もなく静まりかえっていた。

母:ゆり子、ゆり子、・・・。

そして電気をつけてみると、なんとベッドの隅で真っ白い素肌に真っ白いシーツをグルグルに巻きつけてうずくまるゆり子がいた。

母:まぁ、ゆり子どうしたの、泣いているの?

母がゆり子の肩に手を置いた瞬間

ゆり子:く、くっ、くっ、は、は、は、わっあははは、ああああ~、ギヤー!

ゆり子は大きな声で不気味に笑いだした、その表情に優しいゆり子の顔はなく、まるで恐ろしい鬼のような形相になっていた。
母は恐ろしさに声も出せず、後ずさりした。

父:ど、どうしたー、ゆり子、どうしたー!

駆けつけて来て母の背中を支えながら叫ぶ父親

一瞬沈黙したと思ったら、今度はすくっと立ち上がり踊りだす、時にはジャンプをしたり激しく踊りだした。

父:お、おい、おいどうしたと言うんだ、何が起こっているんだ~~。
母:ゆり子やめてー、お願い神様、助けてーー、あぁぁぁ。

母は叫んだ、するとピタッと動きが止まり、ゆり子は静かに腰を下ろして正座した、そしてとても美しく優しい表情を浮かべ宙に両手で、四角をなぞり、その四角いものを大切に天に上げるような仕草をして両手を合わせるという動作を繰り返して見せた。

その後、ゆり子はバタッと倒れ、死んだように眠る。

それから、話もできない、ご飯も食べない、起きている時は、泣く、笑う、踊る、抜け殻のようにぼーっとしている。

父と母はどうしていいか判らず、とりあえず、病院に連れて行った、食べてないのでまず点滴を打つためにベッドに寝かせていると、やはり泣き出す、大きな声で笑い出す、そしてベッドの上で踊り出すありさま。

病院の先生もたまりかねて、「この症状はうちでは見れません、精神病院へ行ってください」と言われるしまつ。

やむなく精神病院に連れていくと、このままでは窓から飛び降りたりする危険性があるからと鎮静剤を打って眠らされた。

原因もわからない、治るのかもわからない、とにかく眠らせ続けるしかないという医者の判断に任せるしかなかった。

その間、父親はユタ神様の所に相談に数件走り回った、そこで言われたことは、「魂が抜けているから手遅れだ」「泣く神様はいい神様だけど、笑う神様は悪神だから助けられない」結局誰も助けられないとの事だった。

ゆり子に付き添い続けている母親、起きては注射で寝かせられるしかない娘、できるなら自分の命と引き替えてでも守りたい、短期間でみるみるうちに衰弱し、注射を打ち続ける腕も紫色に変わっていった。

母:先生、腕がこんなに紫色になっているのに注射を打ち続けて大丈夫ですか・・・。
医師:我々は命を優先する立場です、今彼女を起こしたら何をするかわかりません、お母さん、今はこらえてください。

症状が出て9日目母は決心した、何があっても我が子を私が守る。
ゆり子が少し目を覚ました時に、母はゆり子に話しかけてみた。

母:ゆり子、どうしたい?お家にかえる?

なんと、動けないはずのゆり子の両手が宙に上がり、いつか見た美しく優しい笑顔で四角い形をなぞり、すくい上げ、手を合わせるという動作を見せた。

母:うん、うん、わかった、ゆり子はおウチに帰って神様を拝みたいのね、明日準備して迎えに行くから、おウチに帰ろうね。

そして、ゆり子は薄ら笑顔で安心した表情を浮かべて見せ静かに眠った。

次の日の朝早く、そそくさと準備をして母と父は病室に迎えに急いだ。
とても心地の良い朝、小鳥はさえずり久しぶりに我が子を連れて帰る喜びに胸は踊る。

病室に入ると、ゆり子は何故かまたあの時と同じように真っ白い素肌に真っ白いシーツをグルグルに巻きつけて横になっていた。

少し薄暗いカーテンの隙間から一筋の光がゆり子の嬉しそうな表情を優しく照らしていた。

母:ゆり子、迎えに来たよ、またシーツぐるぐる巻きにして、お母さんはずすよ。
父:・・・・。

母:ゆり子、ゆり子、ゆり子ーー!!起きてよー、母さん迎えにきたよー、約束したでしょ!!

看護婦が入ってきて、脈を取り先生を呼びにいった。

ゆっくりとゆり子の顔に近づき、冷たくなった頬を撫ぜた、口からは真っ赤な血がひとしずく流れていた。

母はその血がゆり子が声にならない最後の声で発した血の言葉を受け取った。

『母さん、神様拝みたい・・・。』

解説

2015年10月に私はこのお話をゆり子(仮名)の母親から聞きました。聞く運びになったのはゆり子の妹二人がヒーリングを受けに来たのがきっかけでヒーリング中に一番下の妹が神がかりのサインを出して来たので事情を聞いている中で、ゆり子の話を聞くことになったのです。神がかりは長女ゆり子、次女、そして三女にきているようです。

私はこの話を聞いて、今後一切こんな悲劇が起きてはいけないと強く思いました。ユタに携わって色んな方のお話を見聞きしてきましたが、こんな切ない亡くなり方をした話は聞いたことがなかったのです。神障りが原因か対処法が原因かは今となっては分かりませんが、このような事態を解決するためには、過去の事例やユタの専門的知識が必要です。

本当の精神病か神ざわりかは、本人が示すサインをしっかりと見極めて、まず本人が望む事をさせてあげる事が解決の糸口であると私は確信してます。

「ゆり子が出していたサイン」
1、白いシーツを巻きつけていた⇒シロギン(白衣)神様を拝む時にユタ神が着る衣装
2、四角い形         ⇒高盆:奄美独自の神様を拝む時に使う特別な台
3、すくうように手を動かす   ⇒神様がそこで待っている
4、手を合わせる       ⇒神様を拝みたい

「ユタ神様に言われた事」
1、笑う神様は悪神だから救えない⇒私の考えでは、これまでの事例から、神障りの時は霊的にスキだらけになり、迷い神や迷い霊、キツネやタヌキの霊が乗り移りイタズラをするようです。

2、魂が抜けている⇒動いている限りは呼び戻す事はできると私は思ってます。

ゆり子の場合の解決方法は白い着物を着させて、高盆に榊とお酒そして米とお吸い物を用意してあげれば落ち着いたと思います。そして自分の拝むべき神様としっかり手を繋げて強く守って貰えたのだと思います。

私は今回のお話を聞いて強く決意しました、ユタを救えるユタを育てて奄美に残すことです。


筋治しの村田さん

円集落に腰の痛みや捻挫などを一発(10分程度)で治す“筋治しの村田(男性)さん”と呼ばれる有名なゴッドハンドがいました。

村田さんの母親が円集落最後のユタであり、私が導かれた川の聖地と同じ場所を聖地としていた事で、私と神的に何か関係があるのではと過去に一度訪ねた事があります。その時すでに母親は亡くなっており、その母親から引き継ぎとして神道具を取りにくる者がいるからその人に渡して欲しいと遺言を受けているとの事で、何かしら秘密の条件を言い渡されているようでした。私はそれには適合しなかったようで神道具を見せて貰えませんでした。

その時から約20年が経ち、私のお客様で腰の痛みに悩んで治療方法の相談に何度も来られる方がいまして、ふっと村田さんの事を思い出し、占った結果も良かったので、その方に紹介をして実際に奄美に受けに行って貰った所、喜びの電話でこんな報告を受けました。「円先生、一発で痛みが消えました!テレビやマスコミで紹介されるゴッドハンドを沢山廻りましたが直ぐに効果を実感出来たのは初めての経験です。」

私自身も喜びと共にとても興味を持ちましたので、実際に会いに行くことにしました。

電話で予約をして約束の時間に村田さんの家に近づいた時に「イターイ、イタタタ!」と悲鳴に近い声が聞こえて来ました。少し待っていると中から中年の女性が出て来て嬉しそうに私に話しかけて来ました。

「あんたもこれから?この人本当に凄いよ、一発で治ったよ、私ここに来るまで足が痛くて引きずってきたのに、今は、ほら!こんなにスタスタ歩けて何ともない!」

喜びがこぼれている状態の嬉しそうな女性の背中を見送り、村田さんの家に入りました。

村田さんはどうやら私の事は覚えておらず、当時のぶっきらぼうな印象から随分と話しやすい雰囲気となっていました。

私の本家が円集落ですので、私の実のお爺さんの事を良く覚えているようで、「あんたの爺さんは走りが早かったよ」などと気さくに話してくれました。

その時、村田さんの力についてインタビューした事をここに残します。

ユタであった村田さんの母親は、訪ねてくるお客様を玄関先でパッと見るなり身体の悪いところを見つけて「あんた、腰が痛いでしょ、ここに横になって背中見せてごらん《グリグリ》」数分で直していたそうです。

そんな母親の元に生まれた村田さんも少年期にはイヤイヤながらも、母親が技を仕込みたくて親指の皮膚感覚を教えようと人の身体の悪い所を触らせたり押させたりしたそうです。

しかし全く興味がもてなかったので逃げてばっかりいたら、いつの間にか指導もされなくなりました。

その母親がやっていた筋治しの技は神様から教えられて自然に出来るようになったと村田さんは言ってました。

その時代に別の集落にも筋治しをするお爺さんがいたそうですので、もしかしたら奄美に古い時代にあった民間療法の1つかも知れません、それが医療の発達と共に衰退していったのではと私は考えてます。

その民間療法の技を村田さんの母親は霊的に昔の術師から教わったのかも知れません。

■村田さんがどのようにして筋治しをするようになったかの経緯を直接伺う事が出来たのでここに書き記します。

ユタであった母親が亡くなり、青年になった村田さんは、ある時円集落で行われていた運動会を見てました。

すると役員席の横で足をくじいた男性が痛みでもがいているのが見えました。

村田さんは何かに背中を押されるようにすくっと立ち上がり、その人の元へ足が勝手に向かって行きます。

そして、何故かその人の治し方がわかり気が付くと今やっている方法と同じ筋治しをしていました。

あれだけ痛かった足が嘘のように治ったので、本人だけでなく役員席から見ていた方々もびっくりしたそうです。

それから、その事が口コミで広がりどんどんと人が訪ねてくるようになり、最初はお金でなく大好きなお酒をお礼に貰う形でやっていたものが何時しかお気持ちとしてお金を頂くようになったとの事でした。

私の感想としては、恐らく子供の頃に母親から仕込まれた技の土台がしっかりとあった上で、さらに皆に知らせるべく、皆が見ている前で霊的に母親からそのきっかけを与えられたのではと感じます。

私も奄美のお客様で村田さんに治して貰ったという方々に少しインタビューしましたが、「ここ痛いだろが」と言いながらグリグリと親指で押されると一発で治った(再発無し)そうです。
ある母親は子供がサッカーをやっていて、捻挫などを一発で治して貰えるので大変助かっていると話してました。

これだけ頼りにしている人がいるから、村田さんがいなくなったら大変だと思いこんな事を聞いてみた。

=後継者はいるのですか?=

これは誰かに習った訳でなく自然に出来るようになったので教えようがない、筋の場所が見えるなら教えられる。
以前噂を聞いて興味を持ったという鍼灸師が自分では治せない患者を連れて習いにやって来たことがあるが、目の前で一発で治して見せて教えようとしたのに理解できなくて帰って行った事がある。

人間の体には髪の毛2本分位の太さの筋が縦に真っ直ぐある。その筋がクロスすると浮いた所に脂肪がついて痛みを引き起こす。その場所を親指の皮膚感覚で探して、グリグリ押して潰すと治る。出来たてのものは直ぐに潰せるが、時間が経っているものは潰すのに時間がかかるので、治るまで自分で出来るように指導する。その方法はお酢を塗りながら柔らかくして筋をグリグリ潰していく。筋の関係していない老化や病気による膝の痛み等は治すことは出来ない。

■2018年4月19日に再び村田さんに会いに行きました。

前回腰を治して貰った私のお客様が家族も見て欲しいとのご希望があり一緒に行きました。顔なじみになったせいか村田さんはニコニコとして冗談なども言いながら、御年90歳を過ぎているのにパワフルに「ここ、いたいだろがぁ~」と言いながら「イタタ~」の悲鳴を楽しんでいるかのようにグリグリと訪れた二人の方を治療してました。

その時にこんな話もしていたそうです。
丁度NHKの大河ドラマの“西郷どん”の撮影が奄美で行われていました。どこから情報を知ったのかそこのスタッフから村田さんに電話が掛かって来たそうです。女優さんが足を捻挫したから治して欲しいと。村田さんは断ったそうです。断った理由については「そんな有名人を治して自分が世間に知られ沢山人が来るようになったら、島の人を治せなくなる」と言ったそうです。奄美大島龍郷町の円集落という小さな村に生まれ口コミで来る島人達を救うという暖かな親心のような気持ちを大切に持っていたんだと感じました。

玄関先でいつも何故かオロナミンCをくれるのですが、丁度人数分あったと笑顔で見送られ、村田さんの家を後にしました。

■2018年4月25日

奄美在住の私のお客様から突然こんな連絡が来ました。

《《村田さんが亡くなったそうです》》

そして次の日の新聞に訃報が出ていました。

村田さんの娘さんの話によると、いつものように寝床につき23時頃息をしていない事に家族の方が気がついたそうです。
特に変わった様子もなく苦しむ事もなく、また、原因もわからない状態で眠るように天に召されたようです。

この時に初めて知ったのですが、その娘さん(東京在住)は村田さんから筋治しの技の手ほどきを受けていたそうです。ただ娘さんもまだまだ人に出来るレベルではないと言っていましたが、村田さん自身がそうであったように、時が来たら霊的に背中を押されてその使命を全うする日が来るのかもしれない。

村田さんの母親の川の聖地に導かれた私もまた、高校生の時に人の身体の悪いところが白く光って見えて、取り除くと痛みが消えたという経験をし、現在は神様から頂いた力を使いヒーリングで病気回復のお手伝いをしている。

これも何か因果関係があるのだろうか、、、。


加計呂麻島のユタ神様

ある時夢を見た。

山の谷間にひっそりと隠されたお墓の夢だった。

その場所は加計呂麻島じゃないかと何故かその夢の中で確信していた。村外れの山の裏手側で、平らな自然石を8個位集めて横に倒しただけのお墓。そこには本土から逃げてきたお侍さん方の魂が眠っている。私は次の事からそのお侍さん方は平家一族の落人ではないかと推測した。全国的に各所にもある平家伝説が奄美にもある。平家一族の足跡と言われている奄美に多い名字「平」「盛」や平家に纏る各神社と場所、また親様の話では神棚に榊を置くのは平家が庭に植えていた事に由来していることや、文字やミキ(奄美本土に伝わる甘酒のような飲み物)も平家が伝えたとも言っていました。ノロがお祭りで唄っていたとされる唄の中に「哀れ平家一族」というものがあり、平家が逃げてきたストーリーが唄われているものもあります。(この唄は後づけのような気もしますが)

その夢を見た私は無性にその場所に行って見たくなりました。

その手掛かりとして加計呂麻島のユタ神様を探して話を聞かなければと思い、情報を集めた所、一人だけ現役のユタ神様がいる事が分かり会いに行くことにしました。

まずは私の住む市内から車で古仁屋まで60分そして古仁屋港から加計麻島まで40分車ごとフェリーで渡ります。現地の島の方々に道を聞きながらそのユタ神様の家にたどり着きました。

広々とした敷地の平屋のお宅の呼び鈴を押しました。

「なんじゃ~!!」

突然怒鳴るようなお婆さんの声が聞こえて驚きました。

『あ、あのう~、こちらはユタ神様のお宅でしょうか?』

「わしはもう神様は辞めたんじゃ、誰もみらん、そんな事をしたらわしは殺される、かえれー!!」

誰かに追われているかのような緊迫した様子で、顔も見ずに追い返そうとしている。

私は普通に鑑定をお願いしてその中で夢の話を切り出そうかと思っていましたが、どうやら方法を変えないとならないと思いました。そして何故か家の前に座り込んでもこのユタ神様の話を聞きたいと思う自分がいました。

ドアを開けてくれる様子もない扉の前で、私はここに訪ねてきた理由や自分がユタの修業中の身であることを話し続けました。

すると、やっと「ガラガラ」っと扉が横に開きました。

そこに立っているお婆さんの強烈なお姿にまた驚きました。

背の小さな方でしたが、肌の色は黒く耳たぶは仏像のように長い、鼻はインデアンのように大きく、頭から顔にかけて皮膚移植したような痕跡とあきらかにカツラを被って鋭い眼光を尖らせていました。

「はいれ!」

『あ、ありがとうございます、失礼します』

神棚のない方の客間に通されました。

畳のお部屋で大きなテーブルを挟むように向き合って座りました。

私はまず気になった事の質問をすることにしました。

『どうして、易(鑑定)を辞められたのですか?』

「わしは徳之島から遺産相続の相談を受けて、親戚一同の前で亡くなった方の意思を伝えたんじゃ、その事に納得しない者がおったから、わしは証拠を見せるとして、わしが知らない筈の徳之島のお墓の場所などもどんどん歩いて言い当てたりしたんじゃ、その事が裁判にまでなって、脅されたり殺されそうになったんじゃ、それ以来わしは人の相談を聞けば殺される、もう人の相談はきかんと決めたんじゃ」

それから話は顔面皮膚移植の話しになった。

「この顔半分は尻の皮膚を移植した、頭はカツラじゃ、海で潜っている時に船のスクリューで顔をやられたのじゃ、すぐ病院に運ばれて手術となったのだが、わしはもう神様の身体になっとったから、麻酔を打とうとする医者に、この神の身体に一切何も入れるなと言ったんじゃ、神様の事なんかなんも信じらん医者は猛反対したが、麻酔を打つなら手術はうけらんと譲らなかったから、医者も諦めてそうした、皮膚を縫う時がそれはそれは気絶しそうになるほど痛かったが、なんも怖くなかった」

顔半分はお尻の皮膚、確かにその部分だけシワもなく綺麗だ。

「それから、わしは手術は終わったのだから、家にかえせと言ったんじゃが、医者は暫くは安静にしてないと駄目じゃと帰してくれんもんで、仕方なく毎日の業、朝晩の祝詞を病院のベッドの上でおっきな声で始めた、すると亡くなる人なんかが視えるもんじゃから、医者に今度はあの部屋のじいさんが明日死ぬって教えてあげたんじゃ、私が言うことが本当になるもんだから、皆が気味悪がってね、一週間で追い出された、あははっは、」

今日ここに来て初めて笑った、その男っぷりな笑い方も何故か迫力がある。
私は聞いてみたい事があり質問をしてみた。

『親神様(師匠)はどなたなんですか?』

「わしは1人でなった、親はおらん」

『神口(祝詞)とかはどのようなものを唱えているんですか?』

「神様が降りてきて、全部教えてくれた、だから私の神口はとても強力、人を生かす口もあれば人を殺す口もある、わしは使った事ないが、呪い口というのがあってこれを唱えると、目の前の人が“パンっち”死ぬのよ!」

《という事は目の前で死んだ人を見たという事か???》

「あんたがさっき言っていた夢のお墓の話し、私はわからんが、確かにこの辺はお侍さんの昔話も多いし、探してみればあるかもじゃが、探してきてごらん」
「あんたも選ばれた人じゃが、ほんと神の道は大変、難儀も多いけど、気張りなさいよ」

帰り際に隣の部屋の大きな神棚が見えた、とても綺麗にしてあり、生き生きとしてみえましたので、決まったお得意さんだけは相談を受けているのでしょう。

玄関で靴を履いていると、少し母親のような優しい表情でやって来て「外は暑いからね、これでも飲みながら行きなさい」とポカリスエットをくれました。

実は10年以上前にこの加計呂麻島の強烈なユタ神様の話を以前のサイトに書いていた所、ある作家さんが興味を持ってそのユタ神様に直接会いに言って、その出会いを元にして小説を書いてベストセラーになってます。
私もその時書いていた記事を削除してしまったので、今回新たに書き直しをしました。
このユタ神様は、もうすでにお亡くなりになっていますので会うことは出来ませんが、加計呂麻島までは伝説的に有名な人ですので、まだまだ生き証人が沢山いるようです。

親神様・興ナツ子

「親様が神様になる時の話を聞かせてください」

いつも優しい満点の笑顔を振りまいている興親様が急に険しい顔なり、静かに私の質問に答えてくれた。

終戦後食べるものない焼け野原の中、子供三人抱えてさまよい歩いていてね。
戦争で旦那さんも亡くして、おまけに神がかりで身体があっちこっち痛くてね、自由が効かないのよ。

だけども気だけは男みたいに強くて「負けてたまるか、生き抜いてやる」って思って、歯を食いしばっておったの。

ある時、川で洗濯していたら、知らないおじさんに話しかけられて「あんたに神様が来てるが、うがまんば(拝まないと)大変な事になるど」っていうわけ。

だけどこんな苦しい中「何が神様ね」って思って知らんふりしてたら、親戚が次々やってきて「私たちが皆でお金出し合って着物とお賽銭よういするから、お願い、神様の所に行って、あんたの事見てられんから、子供達も可愛そうよ」って私の前で泣くわけ。

だから、もうしょうがないっち思って「わかった言う通り行くから、その代わり奄美で一番のユタ神様の所じゃないといかん」と言ったら、その時奄美で一番有名な“よしつ神様( 久永よしちよ )”の所に行く事になったわけ。

私は着るものもないから、いつも汚いボロボロの服きてたから、親戚が着物持ってきてこれに着替えてから行きなさいって言ってくれたんだけど「神様は綺麗な着物着ていかないと見てくれないわけ?こんな格好だけど、私は今の本当の姿を見て貰いたいから、このままで行く」と着物を受け取らんかったの。

それで、よしつ神様の家に行ってドアを開けるとね、沢山人が待っててね、皆綺麗な着物きててボロボロの私の事見てこそこそ話しててね。

やっぱりこんな格好で来てはいかん場所だと思って引き返そうとしたら、一番奥に座っている女性が私を大きな声で呼ぶわけ、そして玄関までやって来て「あんた、よく来たね、待っておったよ、もう神様が見えてるが」って言ってね。

「皆さん、きゅうや(今日は)すみゅらんば(申し訳ないが)神様の使いをせんばならんから、お開きにさせてくりんしょうれ(ください)」

なんと、そこにいた皆を帰して、私の汚い格好のことなんかなんも気にしてない感じで、家にあがらされて

「あんた、よく頑張って生きてくれた、そして、よくぞここまでおいで下さった」っていって、私の手を握ってものすごく喜んでくれてね。

「あんたは直ぐ神の道に入りなさい、もう神様待ってはおられんが」と言われて、私もこの人ならついて行きたいと素直な気持ちになったわけよ。

それから沢山修行して、近くに滝がなかったから、川に下りて長いホースで家から水をだして寒い日に水に打たれてたの「六根清浄、六根清浄、、、」と何度も唱えてたのがいつのまにか「アマテラス、アマテラス、、、、」と口から出て、それから、神棚で拝んでる時に頭の中に習字書きで「天照」と視えたから、その時、あぁ私の拝むべき神様は天照大御神様なんだとわかったわけ。

それまでは枕元にノロ(祝女)をやっていた先祖が毎晩来て、ノロを受け継いで欲しいと頼んでくるからその事を“よしつ神様”に話したら「ノロは絶対に拝んだら駄目、拝むと子孫末裔ずっと拝まないとならなって孫達が可哀想なことになるから」と散々忠告されていたから、一生懸命振り払っていたの、そしたらやっと天照様が出てきて、それからは「ピタッ」先祖のノロは現れなくなった。

親様が言うには「神の道に入ると色んな先祖や神々が自分を拝んでくれとやってくるから、絶対に迷わされたら駄目、間違うと道を絶たれるから」とね。

《だからあんたもね、色々視えて来ると思うけど迷わされんように、神一筋、自分の本当の神様を見極めなさいよ。》


導き親・芋高神様

「私はね、神がかりが本当にキツかった」

そう話すのは私の一番尊敬する導き親の芋高神様
学校の先生のような凛とした素敵な表情でいて、時にはあどけない少女のように手を叩きながら笑う、小柄ながらも背筋が伸びた綺麗な姿勢でとても大きく見える人。

眼鏡の奥の水晶玉のような透明な瞳をくゆらせ、間を置きながらゆっくりと話し始めた。

私の神がかりが本当にキツかったから親様(よしつ神様)は本当に難儀したとおもうが、、、。

私は狐にとりつかれて、裸足で家の周りを昼も夜もないくらいにしょっちゅう廻らされたの、着る物なんかお構いなしだから裸で廻らされた事もあるが(笑)
白目向いてね、ほらこんな風に犬みたいに両手をくっつけて前にだして、両足も揃えてピョンピョン跳ねながら前に進むわけ、みんな気味悪くて逃げていきよ(笑)

誰も助けられない中で、親神様だけは「あんたは神様の預かりものだから、私が命に代えても助ける」っち言ってくれてね~、本当に頑張ってくれた(泣)

私にとりついた狐はどんな事してもなかなか離れてくれなくて、これは普通のやり方では駄目じゃっちいうてね、親様は私を海に連れて行ったの。

二人白い着物着て親様は神刀を持って海に入り、溺れそうになりながら「エィ、エィ!」っち何度も何度も祓い口をかけてくれたのよ、それでも狐は出ていかんかった。

親様もボロボロになりながら困り果ててね~、そして市内中心街のアーケードにある「じんのうち(レコード店)」の前の道が交差点で十字になってるでしょう。

お祓いでは十文字に刀で切るという事をするから、その大きな十字の真ん中でお祓いをすることになって、奄美一番の中心名瀬の一番人がおる場所で私と親様は人だかりに囲まれる中、白い着物着てお祓いを始めたわけ、どういう訳か狐も根負けしたのか「もう降参じゃ」ってね、出て行ったわけ。

それからね、私は一生この道を進むと決めてね、今日があるの

私は自分の神様の名前も神唄も自分の口から出てきた、神様の名前は「ふきだしの尊」っていうの、子供が色々と調べてくれて神様の系図に名前があったらしい。
神唄はいつも祝詞を唱えた後に自然に口から出ててくるの。

壮絶な神がかりのお話を聞かせてくれた芋高神様は本当に人が好きで、誰か来ると踊りだすんじゃないかという位の笑顔で迎えてくれる、まるで探し続けていた魂の母のような存在でした。

2017年8月13日制作 『月の道』作詞・作曲 奄美出身TOMO

兄弟ユタ神様

私がユタへの道に進み始めて30代前半頃、私よりも年齢の若い20代前半の女性が私の親様の所に子神入りしてきた。
私たちは子神達4~5人でよく集まり、時間の許す限り夢中になって、神話し(不思議体験の話し)をしたり修行をしたりしていた。

その中のひとりの神がかりのお話です。

その女性はバツ一子持ちで、昔は相当グレていたらしく近所でも有名だったそうです。
子供が出来たことで更生して真面目に働いているが昔のイメージは中々消えてくれない。

ある日気が付くと紫の着物とハチマキをして、刀の代わりに棒を持って用岬(笠利崎展望台)の急斜面を「龍神じゃが、龍神じゃが、」と大声で叫びながら登っていたそうです。

そして山の頂上付近に来た時に唄が聞こえてきたそうです、その唄はノロ(祝女)達がお祭りで唄っていた平家に纏わる唄である事が、後に親様に確認した時にわかったとの事。

我に返ると自分の姿に驚き、いつの間にこんな衣装を用意していたのかも思い出せないまま、周りに人がいないか確認して車に逃げ込んだそうです。

親様の話によればその場所は昔ノロが集まって輪になって唄いながら踊っていた祈りの場所であったそうです。

それから、町を歩いていて身体が勝手に引っ張られて知らない人にくっついたりすることや、記憶がない行動も頻繁にあり原因がわからず、とても恥ずかしいと悩んでユタへの道に入ったそうだ。

私の著書「奄美三少年・ユタへの道」で書いた、学校全体まで巻き込んだ前代未聞の神がかりを起こした平少年に、彼女の痩せた身体や顔の雰囲気がとてもよく似ていた。

同じく彼女も霊媒体質で、直ぐに霊に入られ、時に身体ごと乗っ取られてしまう。
彼女と色んな神社等の場所に行くと直ぐにその場所の神様方が入ってくるので、私にはとても興味深くワクワクさせるものでした。

彼女も神棚を作り拝み始めると大分落ち着き、二つある大きな神鏡のうち左側の鏡(海の神様を祀る)で、ガラスに刷り込まれた絵のような薄い見え方で、自分の拝むべき滝の聖地が示され、そこで成巫式をしてユタ神様となったそうです。

しかし、他の年配の子神達から昔のグレていた時の噂話が耳に入ってくるようになり、そのことにとても神経質になっていて、いつしか私達の元から疎遠になっていきました。

今現在どうなっているのかの情報も全く入ってきません、ユタとして活躍されているなら直ぐに耳入ると思うのですが、同じ修行をした仲間としても彼女の選ぶ道が幸せの上に安定していて欲しいと願うところです。


遠吠えする男女

私の本家のある龍郷町円集落には伝説のユタの話しがある。

朝4時ぐらいになると殆ど裸で「シル山(白山)」の木の上に登り、まるで朝を知らせる鶏のように、はたまた仲間を呼ぶ狼のような遠吠えを繰り返していたそうです。
*シル山:円集落の山の上、敵からの防塞の為に白い石を積み上げた場所と聞いてます。

小さい体でやせ細っていたものの目は鋭くギラギラさせていたそうです。
興味深いのはシュギ(水でこねた白玉団子)だけで生きていたという話があります、直接検証した訳ではありませんので真実かどうかは謎です。

この男性は透視能力に優れていて人の家の様子など細かく見えたそうです。
ただ、たぐいまれな能力を持って生まれ、神の道がありながら拒否を続けて、何度も病院に入っていたそうです。

また私の実家の近くにも神がかりを起こしている女性がいて、明け方になると裸で屋根に上り遠吠えをすると噂でした。

「神ざわり」というのは、神様に選ばれしものの試練です。
そこには必ずメッセージが込められています。

何度も何度も同じ事を繰り返す、つまり筋があるのです。
例えば神様がどこかの聖地に呼んでいるなら気付くまで何度も夢に見せます。

神ざわりの区別は本当に見たか知ってないと難しいと思いますが、原因があって一般的に誰でもかかるような身体や心の病気又は、不幸等はほぼ神がかりではありません。

神ざわりには原因がないのです。

つまり原因は突然やってくる神様からのメッセージだからです。
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ユタへの道